意志決断の証

17年11月14日

ハンコ木箱更に、平安時代に入れば、藤原家などの貴族も私印を使うことが許されるようになります。花押(かおう)と呼ばれる書き判がその頃はやり、このあたりより、 個人の印(しるし)として印鑑を押す習慣が定着してきたと言われています。江戸時代には商業が盛んに行われるようになり、貨幣も発達をして、庶民も頻繁に印鑑を使用する時代となります。このとき、印鑑制度というものが作られることになります。これによって、実印というモノの役割も明確化されることになります。

明治6年(1873年)10月1日、明治新政府が太政官布告では、 署名のほかに実印を捺印する制度を作り、印鑑が、正式にイニシアチブを得ることになります。10月1日は、現在でも、『印章の日』なのです。制度としての印鑑という考え方では、結構歴史が浅いと感じるのではないでしょうか。一般庶民の生活のための印鑑として使用されるまでに長い時間がかかったと考えることが出来ます。印鑑は、それまで、庶民の手に渡さないものであり、印鑑はその間に高貴なイメージを作りあげて来たのかもしれません。

印鑑は、自分を証明するものとして考えられていますが、自分自身の名を書面に押印してその意志決断の証(あかし)であり、美しい文化のシンボルなのです。

 

中国から日本へ

17年11月13日

なぜ、今日に至るまで、印鑑というものが重宝されているのでしょうか。日本ではいつ頃から印鑑が使用されるようになったかといえば、正直に言えば、はっきりとしたことが分かっている訳ではありません。

ハンコの絵日本最古の印は現在、国宝に指定されている『漢委奴国王』の金印と言われています。世界的に見ればどうでしょうか。印鑑という発想は、もともとは世界共通のキーワードのようです。印鑑そのものの起源は、紀元前のメソポタミアだと言われています。そのときの印鑑とは、丸い印面に文字を刻む形のものではなく、ツツ型の側面に刻んだ絵、模様を粘土に転がすように押し付けて刻んで使うようなモノだったようです。

そして、シルクロードを通じ、遠くアジアへも伝播し、中国において印鑑文明が発達することになります。しかし、欧州圏では、印鑑という習慣は定着せず、サイン文化となり、衰退化に向かうことになります。

中国において、秦の始皇帝が積極的に政治に利用します。そして、中国から、金印「漢委奴国王」が贈られたことが日本の印鑑文化の幕開けとなります。奈良時代において、大宝律令により公にのみ公印の使用が認められることになり、更に、 私印は国家の許可となり、 社寺印として使用されたと言われています。